書評☆2: 殺される側の論理 | イギリス式の氏名と住所の逆順は非合理的

Japanese

概要

  • 書名: 殺される側の論理
  • 副題:
  • 著者: 本多 勝一
  • ISBN: 9784022608079
  • 出版: 1982-01-20
  • 読了: 2021-04-09 Fri
  • 評価: ☆2
  • URL: https://book.senooken.jp/post/2021/04/09/

評価

本多勝一の小論文集になっている。

本多勝一の書籍 (例: 日本語の作文技術) の凡例の中で,以下の記載がある。

ニ、 人名はすべてその人物の属する国の表記法の順序そのままで使います。たとえばイギリス人やフランス人は「名・氏」の順ですが、日本人や中国人やベトナム人は、たとえフランス語やイギリス語の文中であっても「氏・名」の順です。現に中国も韓国もカンボジアもこれを実行しています。 (理由は拙著『殺される側の論理』→<朝日文庫> 収録の「氏名と名氏」参照。)

この理由がずっと気になっており,重い腰を上げ本書を読んだ。

肝心の小論文の内容は,非常に右翼的な思想に寄った,被侵略側の論理についての考察がまとめられていた。この著者の悪い癖だが,細かいところをひたすら書いて,結局論点・結論が非常にわかりにくい。最初は真面目に読んでいたが,同じ論調がずっと続くことに気づき,特に興味なかったので,ほとんど読み飛ばした。

肝心の引用部分だが,妙に普通の内容が書かれていて,拍子抜けてしまった。

引用

p. 268: 「氏名」と「名氏」

日本人は、たとえば「中村太郎」というように、氏・名の順序で名前を書いたり言ったりする。逆に「太郎中村」とは決してしない。中国も朝鮮もベトナムもそうだ。ところが、たとえばイギリスやフランスなどのように、「太郎中村」と名・氏の順に書いたり言ったりする国もある。

「氏名」であれ「名氏」であれ、単なる週間だからどうでもよろしい。だが、日本では「氏名」なのだから、どこの国へ行こうとあくまで「中村太郎」である。外国へ行く時のローマ字の名刺を作るとき、アメリカ行きだからといって「太郎中村」などと逆にするのは植民地感覚というものだろう。げんに中国人も朝鮮 (韓国) 人もベトナム人もカンボジア人も、外国へ行こうと外国語の文章中であろうと、氏名をひっくりかえしたりはしない。毛沢東はイギリス語の中でも毛沢東であって、「沢東毛」では断じてない。(ただし氏が先であることを「名氏」の国の人にもわかるように、私は氏を大文字で書くことにしている。たとえばNAKAMURA Taro, HONDA Katuiti のように。)

もちろんローマ字は日本の訓令式であって、ヘボン式 (イギリス語式) ではない。ベトナム人がベトナム式ローマ字、フランス人がフランス式ローマ字なのと同様に、当たり前である。

ついでにいえば、住所もたとえば東京都千代田区有楽町……と大分類順に書くのが日本式であり、これも中国やベトナムその他、非ヨーロッパ諸国にたいへん多い。イギリス式 (アメリカ式) やフランス式に小分類順に書くのは、単純に考えても明らかに不合理だ。普通の文章は上から読むのに、いったいどうして住所だけ下から読まされるんですか。

長年疑問だった「氏名」と「名氏」の語順にこだわる理由が明らかになった。わざわざ他国に無理やり合わせるというのが,植民地感覚だからというのが理由のようだ。

たしかに,おかしな話かもしれない。また,住所の語順も不便だなと思っていた。オブジェクト指向にのっとるならば,大分類から小分類に記載するのが筋で,そのほうがわかりやすい。

植民地感覚うんぬんの前に,合理的に考えても,氏名 (大分類→小分類) がよいと思った。

結論

本多勝一の書籍を読んで長年疑問だった凡例の理由の一つが解決した。

本書の価値はこれしかないと思う。著者の右翼的思想で長くて結論・要点の見えない無理して付き合う必要はない。

コメント

  1. […] 直近で読んだ「殺される側の論理」と同じく,書籍本体は著者の小論集となっている。 […]

タイトルとURLをコピーしました